教育と個性について

   

量産されたものとは、みんな同じなんでしょうか?
同じ型で作られて、同じ材料で作られて、同じような環境下においても、全く同じものは存在しないですよね。

特に生き物には個性と言うものがあり、遺伝子と言う材料も違い、意志と言う自分で動く力もあります。
なのにどうして人間、特に日本人はみんな同じような教育、共同生活をさせて、個性と言うものを徹底的に排除するのでしょうか?
みんな産まれたときから、平均というものを意識して、平均的な身長、体重、成長過程を足並みそろえて、それ以外の子供は障害を疑われたり、秀でている部分も抑圧される。就学前に幼稚園や保育園で集団行動というものを身につけ、就学すると同じような服装や制服を着て、理解力の良し悪しにかかわらず、同じ学習をし、同じものを食べ、家でも同じような生活をする。少しでも個性と言うものが目立つようなら注意される。もしくは、いじめという形で抑圧される。

なんでみんな同じがいい、同じじゃないものは排除される、そんな世界なんだろう。日本人は保守的なので人と同じ、みんな同じというものに安心して、人と違うことは恥ずかしいこと、目立ってはいけない、そんな風潮があります。
ですが、先に言ったように個性や個体差があるので、集団生活で目立つところがあれば、そこをもっと伸ばす、ついていけないところがあるのなら着いていけなくてもゆっくり進んだらいいのではないのかなと思います。そして、社会にでてやっていけるようになったものから社会に出る、それ以上の特性がある場合は研究やその分野の成長に貢献する、そんな方法が一番いい方法だと思うのですが…優等生、劣等性といじめられて、自己評価を低くしたり、周りに合わせて学習のスピードをさげたり、柔軟な発想をする多感な時期を集団生活を乱さないという理由で抑圧されるより、もっと人類が成長できると思うのですが。

基礎的な学習を青年前にすることは、良心や善悪の見極めをする分には良いと思うけど、飛び級とか研究生とかもっと伸ばせるところは伸ばして、突飛な発想も自己主張できるような社会になってくれたらなと思います。

 - その他 , , , , , ,

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。